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たにしのあしあと

絵を載せたり、展示のお知らせをしたり、なんやかんや。 by新竹季次

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作品一覧(2016年以降)

作品の部分画像です。
クリックしていただきますと、その作品の記事へ跳ぶことができます。

ある程度仕上がりに納得できたものや思い入れのあるもののみ掲載していきます。

のんびりと整理中です。
描き上がってからこちらにアップするまでにかなりのタイムラグがあるかと思いますが、気長にお待ちくださいませ(^_^;)


sora-no-arika-itirann.jpg  nannkai-itirann.jpg dakini-itirann.jpg kaiwanxiao-itirann.jpg 
reijyuu-itirann.jpg  kangetu-itirann.jpg seiarukagiri-itiran.jpg sousika-itirann.jpg 

| 作品 | 17:29 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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作品一覧(2015年以前)

taizou-itirann.jpg rakujitu-itiran.jpg tyabanngeki-itirann.jpg yaka-itiran.jpg

tukiyo-itirann.jpg kutinawahime-itirann.jpg asitaniha-futahosi-itirann.jpg haruni-tadayou-ichirann.jpg

siro-to-kuro-itirann.jpg kihaku-na-kannkei-itirann.jpg akasi-wo-kizamu-itiran.jpg mizu-ni-tokerumade-itirann.jpg

ren-ren-gun-jyou-itirann.jpg wakariaenai-1.jpg ennzai-itiran.jpg 

| 作品 | 23:28 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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『空の在処』

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『空の在処』
サムホールS(2017年)
絹本/墨・中国画顔料・胡粉・茶白緑・金泥雲母

“地を這う僕には届かない空、
真っ直ぐにゆく 君を見送る”

初めて画絹の上に中国画用の絵具を使ってみました。いい感じに描けたのですが、裏打ちの段階で・・・
画材の実験兼ねた作品だったのですが、とてもいい仕上がりになったと思っています。
最終的には日本画の画材だけでなく、中国画の画材も使いこなせるようになりたいですね。。

| 作品 | 23:26 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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『南海ノ夢』



〈部分拡大〉
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『南海ノ夢』
29.3×29.3cm(2017年)
絹本/墨・紅茶・水干絵具・岩絵具・金箔・金泥・胡粉・チタン胡粉

あああ〜東南アジア行ってみたいなあ〜インドネシアとかマレーシアとかシンガポールとか・・・っていう作品です。ただただ、それだけ(笑)熱帯の熱気を孕んだ夜の闇の中に蠢く命の気配、そういったものに触れてみたい。あこがれですね〜(^_^)
実際には行ったことがないのでイメージのみ。でも一応、絵の中の生き物の生息域に矛盾が出ないように、調べまくって描きました。海外の昆虫の資料が予想以上に見つからなくて苦労しました。。

描き上がった時は「うーん、、、」って思っていたのですが、今はなぜかとても気に入っている作品です。

| 作品 | 11:26 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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『荼枳尼』

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〈部分拡大〉
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『荼枳尼』
50.0×65.2cm(2017年)
絹本/墨・紅茶・水干絵具・胡粉・洋紅・岩絵具・金泥


この作品のモチーフは仏教では鬼神とされるダキニです。
人の死を予言し、死肉を喰らう神であり、(背景が複雑な神様なのでさまざまな説があるようで、詳しいことはここでは流しますが)セックスと密接に関係した神でもあります。
つまりは、生と死に関与する存在なのだろうと私は解釈しています。

この絵は日本で信仰されている荼枳尼天ではなく、インドのダキニをイメージしています。
死肉を漁るジャッカルを神格化したものがダキニだという説があると知り、側に居るものも日本で荼枳尼天の眷属とされている狐ではなく、インドに生息するキンイロジャッカルで描きました。

先にも書いたとおり、ジャッカルは死肉を食べる動物です。
死者を食うという一見忌み嫌われるような習性を持つものが形を変えつつも、なぜ連綿と祀られてきたのでしょうか?

私見ですが、死者を食うという行為は人間の行う最も原始的な弔いの形ではないかと思います。
死を生に還元して無駄にはしない、何者かの終わってしまった命が今ある生を繋ぐ、とても合理的な形に思えます。
(犯罪としてのカニバリズムはまた違うところに根ざしていると思いますが)
そのような考えもあり、一般的には鬼神とされるダキニですが、その恐ろしさの向こうにどこか悲しみと慈しみを持つ、死者に引導を渡し次の生への道を教える案内人、そんな私個人的なイメージを作品に反映させました。

今の私からはこの作品が生まれましたが、もっと違う時に描いたらまた違ったものになると思います。
ダキニの持つ性質は私の制作の主題とも密接に絡んでいて、私にとって“ダキニ”とは、まだまだこれからも真摯に向き合っていきたいモチーフそのものでもあります。

タイトル、最初に展示した際は『葬送歌の旋律』にしていたのですが、何か違うような気がして『荼枳尼』にしました。“ダキニ”という音にこの神様の全てが凝縮されているような気がして。。

| 作品 | 16:28 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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